大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 平成元年(わ)2628号 判決

主文

被告人を罰金一五万円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金五〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和六二年一〇月にスキューバダイビングの資格認定団体であるPADI(プロフェッショナル・アソシエイション・ダイビング・インストラクター)ジャパンからインストラクターの認定を受け、大阪市内にある、受講生を募集して潜水技術の指導などを行うことを営業内容とするダイバーズ・トレーニングセンターに所属し、潜水指導者として受講生に対する潜水技術の指導業務に従事していたものであるが、昭和六三年五月四日午後九時ころ、和歌山県西牟婁郡串本町高富七一八番地先の海中において、同センターの募集に応じた受講生北野聡(当時二六歳)外五名に対し、前田泉、和田実、園田忠の三名を指導補助者として指揮しながら、圧縮空気タンクなどのアクアラング機材を使用して夜間潜水の指導を開始したところ、夜間であり、それまでの降雨のため海中の視界が悪く、容易に受講生の姿を見失うおそれがあり、一方、受講生の中には、潜水経験が少なく、潜水技術が未熟であるうえ、夜間潜水は初めてという者もおり、不安感や恐怖感から、圧縮空気タンク内の空気を通常より多量に消費し、指導者からの適切な指示、誘導がなければ場合によっては空気残圧を使い果たし、ひいてはパニック状態に陥って自ら適切な措置を講ずることができないまゝ溺水する可能性があったのであるから、潜水指導者である被告人としては、自らあるいは指導補助者を指揮して、受講生が余裕をもって陸上に戻れるように、各受講生の圧縮空気タンク内の空気残圧量を把握すべく絶えず受講生のそばにいてその動静を注視し、受講生の安全を図るべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、潜水指導中に魚を捕まえて受講生に見せたのち、受講生がそのまゝ自分について来るものと軽信し、かつ、三名の指導補助者に対しても、特別の指示をすることなしに、不用意に一人その場から移動を開始して受講生のそばを離れ、間もなく同人らを見失った過失により、指導補動者の前記園田をして、受講生を指揮しつつ被告人の姿を探し求めることを余儀なくさせ、その間、前記北野聡が圧縮空気タンク内の空気を使い果たしてパニック状態に陥り、一旦海面に浮上したものの自ら適切な措置をとることができないまま溺水させ、その結果、同人を同月五日午前零時八分ころ、同町串本二一七五番地の一所在の串本病院において死亡するに至らせたものである。

(証拠の標目)(省略)

(争点に対する補足説明)

取調べた各証拠によって認められる本件の事実関係と検察官及び弁護人の各主張を総合すれば、本件の争点は大きく分けて、被告人の過失の有無(注意義務とその義務違反の存否)と、被告人の過失が認められるとして、その過失と被害者の死亡との間の因果関係の有無の二つになると思われるので、以下この二点について、当裁判所がいずれもこれを積極に認定した理由を補足説明しておくこととする。

一  被告人の過失について

(1)  注意義務

起訴状(変更された訴因)記載の注意義務は「潜水指導者としては、自らあるいは指導補助者を指揮して、受講生が余裕をもって陸上に戻れるように各受講生の圧縮空気タンク内の空気残圧量を把握すべく絶えず同人らのそばにいてその動静を注視し、もって受講生の安全を図るべき業務上の注意義務がある」というのであり、当裁判所も同様の注意義務を認定したわけであるが、本件のような潜水講習においては、潜水指導者が絶えず受講生のそばにいてその動静を注視すべき注意義務を負うことはいわば当然であり、弁護人も特にこの点を争うものではないが、検察官はその注意義務の根拠として、受講生の空気タンクの残圧量を把握するためとしており、この点に対して弁護人は、空気残圧量は受講生自らが把握すべきであり、被害者自身そのことはすでに十分習得ずみであるとして起訴状記載の注意義務を争っているものと認められる。しかし、関係証拠によれば次の事実が認められる。

スキューバダイビングは、空気のない水中をアクアラングを利用して潜るのであるから、圧縮空気タンクの空気残圧が極めて重要となる。このため、ダイバーとしては常に自己の空気残圧を頻繁に確認しておく必要があり、これはスキューバダイビングの際の最も重要かつ基本的な注意事項の一つである。仮に、空気残圧が残り僅かになってしまったときの措置としては、他のダイバーが近くにいる場合は、他のダイバーのタンクに付いている予備のレギュレーターで空気を吸ったり、また、BCDジャケットに空気を入れて浮力を確保して海上に浮上するか、BCDジャケットに入れる空気も残っていない場合には、腰につけているウエイト(ウェットスーツなどを着用しているため浮力がつき、そのままでは容易に潜水できないため、潜水しやすいようにするため腰付近に付けるおもり)を外して海上に浮上し、空気を吸うことができる。被害者を含む六名の受講生は、いずれもオープン・ウォーターの資格を有しており、本件の講習は次の段階であるアドバンスド・ウォーターの資格を取得するためのものであったが、オープン・ウォーターの資格を取得した際、以上のことは教えられている。しかし、これらの資格は、PADIなどの資格認定団体がダイバーの技術の一応の目安として設定した基準によるものであるが、オープン・ウォーターの資格を取得するためには、四回程度の潜水訓練と講義を受けることで足り、スキューバダイビングとしては未だ初心者の域にあり、その際得た知識や技術を常に生かすことができるとは限らない。むしろ、潜水経験が乏しく、技術の未熟な受講生が漫然と空気を消費してしまい、空気残圧がなくなった際に、単独では自ら適切な措置を講ずることなく溺水することは容易に推測することができる、以上の事実が認められる。

ところで、本件講習は夜間潜水であり、昼間に比べ海中視界は悪くなるうえ、不安感や恐怖感が助長され、一般に空気消費量も多くなることが認められる。しかも、本件の被害者である北野は、潜水経験は六本(使用したタンクの本数)と少ないうえ、夜間潜水は初めてであり、被告人は、事故前の二回の潜水により、北野の技術をおおよそ把握しており、空気の消費量が他の受講生より多いと判断していたのであるから、北野のような受講生がいる講習を担当する被告人としては、受講生が空気残圧に余裕をもって訓練を終了できるよう、受講生の空気残圧を常に把握しておかなければならないというべきであり、このことは受講生がすでに自己の空気残圧を頻繁に確認するよう教えられているとしても変りはないというべきである。そして、そのためには、受講生を水中で見失ってしまうことのないようにたえず同人らのそばにいてその動静を注視する注意義務があることは明らかである。

(2)  被告人の注意義務違反

関係証拠によると、次の事実が認められる。

被告人は、潜水を開始し、しばらく沖へ一〇〇メートル余り移動した後、水深約三メートルの地点で魚を捕まえて受講生に見せたうえ、次の場所へ赴くため移動を開始した。指導補助者の和田は、被告人が移動するのを見てこれに続いたが、同じく指導補助者の園田や受講生の何人かは、逃げた魚を追っていたため、被告人の移動に気付かずにいた。指導補助者の前田は、他の受講生が被告人の移動に気付いていないため、被告人を引き戻そうとして後を追ったところ、三、四メートル進むと和田がいたので、同人に被告人と共に戻るようサインを送った。一方、被告人は、移動を始めてすぐ後ろを振り返えると、前田と和田しかいないことに気付き、元の地点に戻った。しかし、その間に、園田や受講生六名は、海中のうねりのような流れによって沖の方向に若干流されたうえ、さらに園田が沖に向かって水中移動を行い、受講生がこれに追随したため被告人らと一層離れてしまった、以上の事実が認められる。

ところで、前田、園田及び受講生の稲村が供述するように、被告人が魚を捕まえてこれを受講生に見せた際、多くの受講生の注意が魚に向き、その後、逃げた魚を何人かが追うような状況があったのであるから、被告人としては自分の方に受講生の注意が向いていないことを容易に認識できたと認められる。このようなもとで、被告人が受講生に対して何らのサインを送ることもせずに、先に移動するためその場を離れた場合、当時の視界が水中ライトを照らして約五メートルしかなかったことを考えると、被告人と受講生らがお互いを見失ってしまうことは容易に想像できる。弁護人は、被告人が先に移動し、受講生がその後方からついて来るような移動方法を取っており、後ろ向きに泳ぐことは、夜間潜水では極めて危険であるので、ある程度前を見て進んでから後方の受講生を確認しつつ移動することで充分注意義務を尽くしていたといえると主張するが、それは、受講生が被告人の動静を見ながらこれに追随している限りにおいて許されることであり、受講生が被告人の動静に気付いておらず、被告人もそのことを容易に認識できる場合にこのような方法をとることは許されない。

また、被告人は、三名の指導補助者を付けており(前田―北野・稲村担当、和田―上野・中山担当、園田―山口、須永担当)、その目的が、受講生らに対する監視や指導の補助にあったと認められ、その中には受講生が被告人の動静に注視していないような場合に、受講生の注意を被告人に向けさせたり、直接受講生に被告人の指示を伝えたりすることも含まれると考えられる。しかし、そのような措置を講じていたとしても、現に園田は受講生とともに逃げた魚を追ったりしており、和田は被告人の動静のみを見て、受講生の動静に注視せず、被告人の後を追っており、僅かに前田のみが受講生が被告人の動静に気付いていないことを発見し、被告人を呼び戻そうとしたにすぎないのであるが、このことからも分るように、現に受講生の多くが逃げた魚に注意を奪われ、被告人の動静に気付いていないような場合、指導補助者に事前の包括的な指示を与えただけで、具体的な指示を与えることなく、被告人のみが移動を開始することは受講生とはぐれる危険が極めて高かったといわざるをえない。

もっとも、被告人は、それほど移動しないときに後方を確認しており、被告人側が三名、受講生側が七名いたことを考えると、通常であれば、一旦見失っても、間もなくお互いを発見できた距離しか離れていなかったともいえる。しかも、被告人は、潜水中ダイバー同士がはぐれた場合の対処方法を受講生に指示していたことが認められる。すなわち、スキューバダイビングにおいて、海中で一人になることは危険とされており(このため、通常、二人でバディと称する組となり潜水することが推奨されている。)、仮に、ダイバー同士が海中ではぐれた場合には、一分間お互いを探し、それにもかかわらず出会えないときは、海上に浮上して待機すべきであるとされており、被告人も、潜水前に受講生に対してそのような指示を与えていた。それにもかかわらず、お互いを発見できなかったのは、当時の視界が悪かったことに加え、被告人が移動を開始した直後くらいに、海中のうねりのような流れにより、受講生六名と園田が沖の方向に若干流され、さらに園田が沖へ数十メートルも水中移動し、受講生がこれに追随したことによるものと認められるが、仮に、北野ら受講生が、前述した被告人の指示に従っておれば、うねりによる移動を考えても、間もなく海上において被告人と出会えたはずであり、そうすれば本件のような事故も生じなかったと思われる。しかし、当日のように視界の悪い海中で、経験の未熟な受講生がインストラクターとはぐれてしまった場合、受講生が落ち着いて事前に与えられた指示どおりに行動すると信頼することは許されず、受講生が指導補助者である園田に追随したことも何ら責められないことである。なお、園田が沖へ移動した理由については、園田本人の直接の供述はないが、同人は被告人が沖へ向かって移動したと考えて、その後を追うために移動を続けたものと推測できる。当然、園田も海中でダイバーがはぐれた場合にとるべき措置を知っていたのであるが、必ずしも経験が豊富ともいえず、未だ指導についての技能を十分習得していたわけではなく、しかも、夜間潜水において受講生六名を一人で管理しなければならなかった状況下で、園田に適切な措置を講ずることを期待することはできないというべきである。むしろ、園田を含む受講生を一旦見失ったならば、園田らが以上のような行動をとることは、被告人としては予測すべきであって、この点に被告人の注意義務違反が存することは否定できない。

以上のとおりであって、潜水指導者である被告人に、たえず受講生らのそばにいてその動静を注視すべき注意義務の違反があったことは明らかである。

二  因果関係について

被告人が受講生のそばを離れて同人らを見失った過失と被害者の死亡との間の因果関係については、弁護人も指摘するように、その間にいろいろな事情が介在していることは否定できない、すなわち、以上に検討してきた事実からも明らかなように、お互いを見失った直後、北野を含む受講生らが突発的なうねりのような流れによって沖の方向に若干流されたうえ、園田や受講生らが決められた手順どおりの行動をとらず、園田が沖に向かって数十メートルも水中移動し、受講生らがこれに追随したことにより、ますます被告人と離れてしまったことや、指導補助者の園田が、北野の空気残圧が六〇気圧(当初の四〇パーセント)しかないことを確認しながら、その後一旦浮上したけれども風波のため水面移動が困難であるとしてふたたび水中移動を指示し、北野自身も自分の空気残圧をおそらく確認しないまま水中移動を続けたため、途中で空気を使い果たしてしまったこと等が認められるのであって、このように、被告人が北野らを見失った後、園田や北野自身の過失が介在したため本件死亡事故に至ったことは否定できず、而もそれらの過失は本件事故に直結しているだけにその程度も重いものがあるといわざるをえない。しかし、被告人が北野を含む受講生らを見失わなければ、北野が空気を使い果たすまでに北野自身あるいは被告人もしくは指導補助者において北野の空気残量を確認したうえ、適切な措置を講ずることができ、本件のような死亡事故には至らなかったことは明らかであるというべきである。そして、夜間潜水においてインストラクターとはぐれてしまうことにより、前述したような、技術の未熟な者の過失が重なり本件のような事故に至ることは十分予見できるといわざるをえないのであって、他のダイバーの過失が重なったことをもって被告人の過失と本件事故との因果関係を否定することはできない。また、突発的なうねりのような流れにしても、被告人が受講生らの動静を注視することなく不用意に移動を開始しなければ、受講生らと離れること自体なかったわけであるし、少なくとも本件のように完全に見失ってしまうことはなかったと認められ、本件事故との因果関係には影響を及ぼさないと考える。

以上のとおりであって、被告人の過失と被害者の死亡との間の因果関係が存することは明らかである。

(法令の適用)

被告人の判示所為は行為時においては平成三年法律第三一号による改正前の刑法二一一条前段、同じく改正前の罰金等臨時措置法三条一項一号に、裁判時においては右改正後の刑法二一一条前段に該当するが、右は犯罪後の法令により刑の変更があったときにあたるから刑法六条、一〇条により軽い行為時法の刑によることとし、所定刑中罰金刑を選択し、その所定金額の範囲内で被告人を罰金一五万円に処し、右の罰金を完納することができないときは、刑法一八条により金五〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置し、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項ただし書を適用して被告人に負担させないこととする。

(量刑の事情)

本件は、夜間の潜水指導中に、被告人が受講生らの動静を注視することなく不用意に移動を開始して受講生のそばを離れ、同人らを見失ったため、折からのうねりや指導補助者の不適切な誘導などが重なり、被害者を溺水させ、死亡させたという事案である。被害者は、指導者のもとで行った潜水であり、安心して本件講習に臨んだものと推測されるが、指導者とはぐれてしまい適切な措置を受けることができないまま溺水し、死亡したことを考えると、指導者である被告人の責任は重く、その結果は重大といわなくてはならない。

しかし、前述したように、本件は、被告人の過失の外に、指導補助者や、被害者自身の過失も重なることによって生じたものであり、被告人が受講生らから離れ、見失ったことに気付いて引き返すまでの距離や時間が僅かであったことを考えると、多分に不運な面が存することを否定できない。その他、被告人自身本件の責任を争ってはいるが、被害者らを見失ったこと自体の責任は感じており、また、その結果を真摯に受け止め、被害者に対する冥福を祈っていること、現在、被害者の遺族から民事上の責任を問われているが、限度額一億円の保険に加入しており、将来被害弁償がなされる見込みが存することなど有利な事情も存するので、以上を総合した結果、主文の量刑を相当と判断した。

よって主文のとおり判決する。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例